お疲れ様です。
最近目上の人に文章で連絡することが増えたのですが、文面の最初に「お疲れ様です」を使うのがマストというか使うべきというか。
まぁ毎回使ってるんですけど、お疲れ様ですって思ってなくても使うし(もちろん思いながら使ったりもする)、いつも使ってるので「こいつとりあえず付けとけばOK」って思ってるなと受け取られていても仕方ないなぁと思う。
それでもこれからも擦り続けるので、僕から連絡がくる人は心してください(これが目上の人に対する発言なのか)。とまぁ、前置きはこの辺にして本題に行きますか。
作品が完成したことに祝福を。
なんか最近創ることに関しての視野が広がりつつあるんですが、その中で思うのが「ちゃんとした形として作品が完成する」ことって祝福されるべきだなぁと。評価されるべきなのかはまた別の話として。
ここでの話は映画やゲームとかの話になりますが、建設業とか記事を書くとか全てのことに通ずる話なのかも知れません。
全ての作品が最初の思い描いている企画の段階から、動き出して様々な人が関わり合って、思想が混ざりあっても軸はブレずに形として完成することって凄くないですか?って強く思うようになった。
もちろん最初の構想からズレて違う作品になってしまうこともあるだろうし、色々な大人の事情とかで妥協した形になってしまったとしても、作品に一貫性を持たせるって本当に凄いことなんだよなぁって。
例えば、最近感じたことでいうと「どうぶつの森」とか。
あんな大きなタイトルだと関わっている人数とかどう考えてもとてつもなくて。部署が違うとか他の会社に業務委託しているとか、そういった簡単に連携が取りにくいようなひとたちとちゃんと軸を崩さずに完成させるのとか当たり前なんだけど本当は凄いことじゃね?
特に今作の博物館とか意味が分からないくらいに凝っているんだけどどうぶつの森の世界観は崩れていないし、それよりも博物館からどうぶつの森の世界観を作っているまである(?)
それでいうと「ゼルダの伝説」とか。
最近やっとブレワイを買ったのですが、あれだけ膨大なコンテンツなのに世界観が噛み合い過ぎている(もしかしたら僕が見えていない部分で世界観ぶち壊しのシーンがあるのかもしれないけれど。
作品として一貫性を持っているのはもちろん、要素の節々がお互いに作用しあって作品の世界観を作り上げているのを感じてしまう。要素を作り上げていく人が凄いのはもちろんだけど、それらをまとめ上げている人って本当にやべえ。
あげた2作品が任天堂なので別会社から「SEKIRO」。
ここ1年ずっと色んな人に勧めているタイトルなのですが、めちゃめちゃおすすめなので是非。何が良いってゲーム一貫して武士みたいな世界観にあのアクションに達成感と成長感。本当に脳汁が出る。(でも源の宮前のイベントシーンだけはよく分からん)
物凄く売れているタイトルって新しい作品が出るごとに何かは変わっていくんだけど、本当に大事な軸はブレずにしっかりと持っているからこそシリーズ物でもちゃんとユーザーはついてくるし、新規ユーザーも引っ張られてくる。
若干話が逸れてしまいましたが、企画段階から軸を持って完成したことに対して祝福してあげるべきだと(軸がないものは祝福されなくても良いとかそういうわけじゃなくてですね)。何事もちゃんと軸を持ってから動いた方が良いよねっていう自戒です・・・。
この世の作品に感謝を。
なんか御託を並べてグダグダと書いていますが、僕はしょせんコンテンツを消費させていただいているユーザーなので、世の中にある作品全てに感謝しながら生きていかないと行けないなぁと思うわけです。
ちゃんと見たり、体験した上で合わなかったとかはあっても良いと思うし、あるべきだと思うんですが、全く触れてすらないのにコンテンツを貶すようなことはしては行けないなぁと改めて感じたので。
なんにしろちゃんと形として完成したのであれば、成功しても失敗してもそれはそれで良いんじゃないでしょうか。成功に越したことはありませんがどのような形でも完成してしまえばどうにもならないですしね。
うるさいわ