この記事は後編です。前編、中編もあるのでよければ読んでってください。
【前編】
【中編】
小説読了。2周目の天気の子。
1回目の「天気の子」を鑑賞し、勢いのまま小説を買う。
今まで数年間積んできた小説をすっ飛ばして「小説 天気の子」を3日に分けて読了し、2周目の「天気の子」に臨む。
今日観に行かないと、次に観に行けるのは2週間後になってしまうので急ぎ足で読んだ。
寝落ちしながら読んだ小説。そして来る2周目の天気の子。
次の展開、登場人物の心境が分かっているので、より映画にのめり込むように鑑賞した。
それはもう。のめり込んで鑑賞した。
このシーンでは須賀や夏美の心境はこうだったな…とか、このシーンのちに出てくるとこと同じだとか。
でも、映画は1人にフォーカスを当てられて進行するので、他の人物の心境は明かされないまま終わることも多い(という意味でも小説もおすすめしたい)。
例えば、陽菜と夏美の講演のベンチに座ってるシーンで、帆高が夏美(と須賀)を褒めてるシーンが小説にはあるのですが、
映画だとすっ飛ばして、人柱の話に移行されます。
ベンチシーンでは夏美にフォーカスを当てられた話がいくつかあるのですが、映画ではほとんどない。
というか主人公である帆高でさえ、地元が嫌になって東京に出てきたっていうバックグラウンドしか映画では明かされません。
あれほど、登場人物の背景に触れていないのに感情移入させられる映画になっているのはすごいことだなぁと思います(小並感)。
もちろん小説を読んだ後に映画を観ると、背景を理解したうえで鑑賞できるので没入感が段違いなので小説も読みましょうね。
個人的には映画→小説→映画の順がいいと思います。
小説→映画だとこのシーンねーのかよっていう残念感がある映画もあるので…(天気の子はわかんないです)。
後半の大人たちの心境変化。
先ほど、登場人物の背景にフォーカスが当てられないので、心境が分かりにくいって言ってたのですが、
この映画の見どころは登場人物の心境だと思うのです。
主人公である帆高や、100%晴れ女である陽菜でもない。どうでも良さそうにしてる須賀、就活に迷える夏美に焦点を当てたい。
映画単体では陽の目をあまり当てられなかった2人(まぁ映画中、ずっと雨が降ってたので実際に陽の目を浴びたのはほんのちょっとだけでしたけど)
少年少女を中心に物語が進行した行く中で影響されていく大人たち。
特に映画後半に入り、心境はコロコロと変わる。
須賀は「大事なものの順番を、入れ替えられなくなる」と言い、帆高を捨てて煙草とお酒で罪悪感に浸ってる。
かと思いきや最後には「帆高に触んな!」って警官をぶっ倒して逮捕されるし。
夏美は「陽菜の悲しい運命」を知っていてもなお、何もできない自分に腹が立って。最後は帆高を助ける選択をした。
線路を走っているときに注意してくる作業員も「直接手にかける大人」は誰もおらず。
「陽菜が空へ昇っていく夢」をみんなが見たはずなのに、誰もが知らないふりを続けて生活をしている。
「皆が心のどこかで、この青空はどこかの誰かと引き換えだったのだと知っている」のに分かっていないふりをしている。
そして安井刑事の「そこまでして会いたい子がいる(中略)羨ましい気もしますな」が全てをまとめていると思っていて。
実際に心境が変化したのは須賀と夏美だけだったが、
この映画は少年少女(子供)と須賀夏美(大人)の対比だったのではないかと思う。
子供らしいからダメでも大人な考えすぎてダメでもない。
新海誠の答えは「東京を犠牲にしても陽菜を助ける」だったというだけで。
後は野田洋次郎が書いた歌詞にすべて詰められてるかなぁと。
それ以外は前編に書いてしまったのでそちらを参照ください。
天気の子についての時代背景とかも掘っていけば掘るほど、記事が無限に出てくるので気になった方はググってみてもいいかもしれない。
個人的に好きなシーン。
「風呂交代っ!」っていうシーンが一番好きです。
小説だと「姉弟がハイタッチを交わす」となってるけど映画では「帆高ともハイタッチ」してますよね。なんでなんでしょう。
声が良い。テンポ感と。
声が良いといえば「おっまたせしましたーっ!」も好きです。
序盤のネカフェを2周するシーンとかもテンポ良くて笑いました。
それで言ったら「僕は絶対に話しませんよ!」って言ってた研究者?が次のコマでは「積乱雲が!!」って息巻いてはなしてたのもよかったですね。
これは好きとはズレますが、帆高が警察から逃げるシーンを観るととある思い出しますね、。
あの…清楚系Vtuberの…警察なめとんちゃうぞが…脳内再生されて…..
いやなんでもないです。
全3編ありがとうございました。
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