おはようございます、天琥です。
数日前にpontaさんがツイートしてた速読について記事を書きました。
今回の記事は速読記事の続きです。内容的には別の話題ですけれど。
速読が出来たって国語力は上がらない
世の中には生まれもって国語(現代文)が得意な人と苦手な人が存在します。
得意な人からすると国語なんて一秒も勉強をしなくても点数が取れる教科ですが、苦手な人はどう頑張っても国語で点数が取れない教科でもあります。
やっぱり小説とかを読みなれている人は得意な傾向があるように感じますね。
感想文や作品のまとめなども得意な人と苦手ない人ではっきりと差が出てきますよね。
苦手な人はやはり色んな文章を読むことが大事なのかなと思います。ブログではなくて本を。
ブログも文章ですが本でまとめられた文章とは全く違います。
本になっているものはある程度の質が保証されていますからね。売れなければ本なんて作らない。
国語が苦手というひと
国語が苦手っていう人ほど「速読が出来ないから」「筆者が何を言いたいのか分からない」というわけですよ。
人には得意不得意がありますが国語は日本語。読み込めば文章を理解することが出来るはずなのです。
なのに「文章を読むスキルがない」とかかんとか言って言い訳をする人が一定数いるのですが。
速読が出来てもなのも変わらない
何にも変わんないっす。速読なんて出来ても。
国語のテストで文章を最初に目を通すときは速読が出来ると便利ですが、初速が早いだけで細かいところは結局読まないといけない。
「下線部Aとなる根拠を10文字で抜き出しなさい」という問題ならしっかりと読んで抜き出してあげないといけない。
というよりも試験の場合は初見の文章じゃないし、全文が載っていることがないので速読しても何の特にもならないっていう。
むしろ便利なのは英語
英語は速読で適当に流しで訳せると便利ですね。
要点だけを掴んで長文を読解できるようになると点数がぐっと伸びるようになると思います。
まぁ国語とはまた別の分野なので何とも言えないですけれど。
そもそも国語力とは
国語力とは文章を読んだ時に時系列を辿って整理できるか、筆者の伝えたいことをしっかりと読み取れているか。
そして「必要な情報を出来るだけ早く理解し読み取る力」のことなんです。
つまりは文章を頭の中で情報を整理しながら読んで、それを表現する力のことを指しています。
(国語力という明確な定義がない)
なのでステップとしては、1. 文章を読む 2. 理解する 3. 整理する 4. 表現する
この4ステップが出来て国語力があると言う。速読が出来ても良いことがあるのは「文章を読む」ことだけなんです。
速読が出来たとしても
上述しましたが、速読をすれば「文章を読む」という工程においては特段に早くなります。
ですが、速読が出来ても「理解できなければ」速く読めても意味がありません。
理解が十分にできないまま速読を身に着けても余計理解力が落ちるだけで同じ文章を読み直さないといけません。
なんて無駄な行為。
国語を出来ない理由を「速読が出来ないから」にするくらいなら理解力を高める方が重要なのです。
速読出来たに越したことはない
前の記事に引き続き、今回の記事も速読を否定しているような口ぶりですが。
速読が出来たに越したことはありません。
慣れてくれば理解整理をしつつ速読をすることが出来るようになるので是非とも理解できるようになりましょう。
なんしか言いたいことは、速読を身につける前に理解力を身につけよう。ということでした。
立ち方を知らないのに歩き方を覚えても意味がないのと同じです。
速読に憧れるのは良いですが先に覚えた方が良いスキルがありますよ。ということで。
ありがとうございました。
by. 天琥 @amaco711