どうも、天琥です。
タイトルをみて何の記事なのかさっぱりだと思うのですが僕もタイトルだけ決めて大まかにしか考えていないのでどんな記事になるかわかりませんが、読んでいってくれると幸いです。
思い出は補正される
過去にやったことを思い出してみてください。
何でもいいです。失敗したことや楽しかったこと、印象深かったこと。
そして思い出した思い出を丁寧に言語化してみてほしいんですよね。
そしたら恐らくあんまり多くのことは言語化することが出来ないと思うんです。
当時の記憶はあるんだけど詳細が思い出せない。ふわっとしたものがあるだけで言語化することが出来ないと思うんです。
それって何を意味するかというと「思い出は曖昧なもの」なんですよね。
やったことは覚えているしその時の気持ちも覚えているはずなのに言語として表現することが出来ない。
出来事が衝撃すぎて心に傷を負ってしまったはずなのにうまく思い出すことが出来ない(忘れるくらいだからそこまで衝撃じゃなかったのかもしれませんが)。
僕自身があまり過去の出来事を思い出せない人間なので、いま落ち込んでいることとかって記憶に残らないというか、どこかに消えてしまうんだろうなぁとか考えてしまいます。
何を考えていても時間と共に消化されていって自分の一部に溶けていくような感覚と言えばよいのでしょうか。
少し言語化するのがむつかしいですけれど。
思い出を記録化する
この世には毎日日記を書くことが出来る人間と書けない人間がいます。僕は書けない人です。
急に何を言い出したかというと、日記を毎日書くのって今日起こった出来事を思い出という状態にせずに言語化してしまう作業だと思うんです。
今日あったことを日記に書き写すことで本来は思い出となるはずだった事象が、日記というものにリアルタイムで書かれることで思い出は出来事に変わる。
この日は何があったということを丁寧に言語化することで思い出の詳細が書き残され、思い出ではなくなってしまうと思うんです。
例えるならば戦争の記録。
講演会などで話されているのって戦争を体験した方の話だと思うんですけれど、その話って体験者の思い出ではなくて出来事が話される。
原爆が落ちてきたときにどう思ったとかじゃなくて、原爆が落ちてきたからどういう事が引き起こされたという出来事が話される。
戦争といえば原爆があって、広島と長崎に落とされて、皮膚が焼け焦げて、壁には影が残る。という出来事が詳細に記録されている。
記録されているからこそ思い出として語られるわけではなく、出来事として語られるんだと思います。
表現が悪くてすみません。気分を悪くされた方がいらっしゃったらごめんなさい。
すこし話が逸れてしまいましたが、
日記に起きた出来事を書いてしまうと思い出ではなく出来事になるっていう話をしていましたね。
日記に書くことで後から読み直せる、過去にあった正確な情報を読むことが出来るようになる。
その時に書いた日記なのでなにも脚色されていないはずです。
最初の話に絡めるとすれば日記を書くのは「思い出の純度を100%にする」作業。
それってとても良いことだと思う反面。良くないことでもあるかなと、思うんです。
思い出を綺麗なままで
思い出は曖昧なものですが、それを純度100%にしてしまうと脚色がつけれなくなってしまう。
思い出って本当のことだけじゃなくて、少しくらい脚色されていた方が都合の良い風にしていた方が綺麗な形で残ると思うんです。
わざわざ思い出にリアリティを求める必要もないと思うんですよ。現在進行形でリアルは進んでいるんだから。
過去の産物は自分の美談として、過去の思い出は作り話として、過去の記憶は笑い話にする。
思い出は綺麗なままで。
そういったことから僕はこの日に何があったということだけを書いて、詳細は何も書かないようにしています。
スケジュール帳をそのままにしているだけとも言いますが。
ありがとうございました。
by. 天琥 @amaco711